自己愛性人格障害(082) 人格障害者はいかに生まれるのか その8

人格障害者ウッキーが小さい頃から社会人に至るまで「イジメられていた」という話を前回書いた。もちろん、これは自称である。さて「イジメ」と聞いて何を思い浮かべるだろうか? ワシは人格障害者ウッキーが自称する「イジメ」とは、実はワシたちが想像する「イジメ」とは異なっているのではないかと思っている。人格障害者は、自分の思い通りにならなかったら、それは相手の非道と捉える連中である。大袈裟に「みんなにイジメられてる!!」と騒いでも不思議ではない。

世の中には、自分の思い通りにならないことなんてたくさんある。2人いれば、それでもう、お互いに譲歩する部分が出てくる。自分以外の誰かと接するということは、そういうことだ。ましてや、人格障害者の言うことはワガママでおかしいもん。相手の気持ちを慮ることが出来ず、わたしが、わたしが、だもん。

人格障害者ウッキーは子供時代は本当にイジメられていたのだろう。その理由は前回書いた。では大人になってからはどうか? ここでは、2点、実例を挙げる。まず人格障害者ウッキーが勤めていたという病院である。病院といっても、医師ひとりに看護師2~3人が交代制の小さな個人クリニックである。そこで、同僚から「看護師でもないくせに」といって、イジメられてたという。

しかし、これは看護師かどうかである前に、やはりコイツが人間的におかしいことが原因だろう。態度がでかいとか、ワガママとか、嘘をつくとか、この辺の原因は子供でも大人でも変わらないはずだ。「看護師でもないくせに」というのは、そういう嫌なヤツを叩く材料に過ぎない。仮にコイツが看護師の資格を持っていたとしたらイジメられなかったか、というと、やはり結果は同じであろう。尊大な態度、虚言癖、言い訳と責任逃れ、人格障害者は嫌われる。きっと、その「嫌われる」を「イジメられた」と言っているのだろう。そして看護師でもないくせにとバカにされていたことも、「イジメられた」と言っているのだろう。

まさか大人になってまで靴を隠したりとか、実際に手を出したりするようなイジメはあるまい。大人がやると、窃盗、傷害になる。嫌われるのは本人に原因があるのだし、バカにされていたのは、そうされるだけの理由があるからではないか。どうもコイツが主張する「イジメられていた」が、ワシたちが普通、想起する「イジメ」とは根本的に異なる気がする。ワシの文章で、上手くこの違いのニュアンスが伝わるだろうか。イジメはいけないことだ。
しかし、コイツのはイジメではない。

何度も書くが、人格障害者ウッキーは、小さな個人クリニックで、看護師の使い走りをしていた。看護学校の入学すら出来ず、看護師の資格は持っていない。ところが、外では「大きい病院の看護婦長をやっていた」と嘘をついている。哀れな虚栄心だが、これは自己愛性人格障害者特有の大きく見せる嘘であるだけでなく、このように看護師でないことをバカにされていた反動も遠因であろう(このように虚勢を張るから余計にバカにされるのだが)。そして本人が自称する「イジメ」が単なるコイツの被害妄想で、本人に原因がある「バカにされてた」だけであると確信しているのは、実際にワシの会社で同様の状態だったからである。では、次回は、実際にワシの会社における、人格障害者ウッキーが自称する「イジメ」について書きたいと思う。

続く。

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3 thoughts on “自己愛性人格障害(082) 人格障害者はいかに生まれるのか その8

  1. 匿名 より:

    3回ルール 3回あればおかしいなも核心に迫るともとれますね。
    仕事ではすきでもないのに組まされたりということもあるから
    自己愛と気がつかなくても人間関係が嫌だ という状況になりますよね。
    不思議なのは虚言も攻撃も隠せるものではないと思うから
    なぜ長期にわたって気がつかないのかな・・ということです。
    期待や希望を持つからその時間が過ぎていき被害も増えていくということなのでしょうか・・。理屈もおかしいし嘘はばれるしこだわるし・・
    自己愛だという発見はなくても 人としてどうよ って感じることはあるとおもうのですよね。
    心に受けるものが今までとはまったく違う嫌な感だから
    調べてみると自己愛にぴったり。
    だけどそのときには関係も壊れてる。
    結果でみれば ぜったい人間関係で問題が出てるのですよね。
    死ねばいいのに
    そのくらい 強烈なものを受けちゃうのです。
    同情はしないけど
    せっかく人間として生まれてきたのに
    これほどまでも忌み嫌われる自己愛
    俯瞰すれば かわいそうな人種ですね
    かならずばれるときがきて人格障害者は孤立するし幸福にはなれないだろう。
    気がついた人は二度と付き合ってはくれないし信じることもない。
    ひとつのテーマを持ち出してそれに対する考えや理屈を聞いてみれ
    あっさり暴露されますしね。

  2. ぽんず より:

    この障害者にとっては「自己否定=イジメ」の図式なのではないでしょうか。こちらの自己愛も、私が仕事の注意をすることを「イジメだ」と上に訴えていたそうです。
    そして、「看護師でもないくせに」という発言も、知らなければ嫌な同僚のように思えますが、私自身、奴には本当のイジメをしたくなるし、嫌な言葉も徹底的に浴びせてやりたいと思うので、なんだかわかるような気がするのです。
    自分のみならず周囲の人間の性格も悪くする自己愛。
    他人の人格を破壊する悪魔ですね。

  3. せんち より:

    なかなか表現するのが困難な事例なので、
    言葉で表現できているかどうか不安なのですが、
    ぽんずさんの書かれている解釈が、そう言いたかったことです。
    自己否定=イジメ
    「看護師でもないくせに」という発言も、
    ただの特徴をとらえた言葉であって、本質的な問題ではないのです。
    仮に、ボクがアメリカ人とケンカしたとします。
    向こうが怒って「ジャップのくせに!」と発言するとします。
    彼がボクに怒っているのは、日本人だからではないですよね。
    違うことで怒って、たまたまボクが日本人だから、
    そういう言葉が出ただけだと思うのです。
    それと一緒で、看護師でもないくせに、というのは、
    もっと本質的な、おそらく人格障害に由来することから派生したことが原因で、
    看護師かどうかは、あまり関係のないことだと思います。
    そして、これは本文で改めて書こうと思っていますが、
    その言葉を真に受けて、自分が「看護師でない」ことを理由に「イジメ」られる、
    と、この人格障害者は判断し、
    もっと本質的な自分の人格障害から目をそらす理由に使っている、
    それが問題だと思っています。

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