ひらいた扉(003)大学時代の話2

新潟大学は大きな弓道場を有し、一学年当たりの部員の数も多かった。人数が多ければ当然、特別仲の良い奴、ただの同期というだけの奴、そして仲の良くない関係が生じるのは仕方がない。ワシとて気に入らない奴がいたことは否定しない。だからといって、そこは皆が同じ目標に向かって切磋琢磨する場である。誰もそれをあからさまに表に出すようなことはしないし、気に入らないなら、別に仲良く付き合う必要もなく、弓道場だけの付き合いで構わない。その唯一例外が桜井一哉である。気に入らないという感情を皆にわかるようにアピールするのみならず、実際に嫌がらせまで行なっていたのは桜井一哉ただひとりである。

一生に一度しかない美しい想い出となるべき大学時代にこんな奴のターゲットとなったワシは、まさに不幸だったとしか言いようがない。精神的な嫌がらせについては前回書いたが、コイツがしていたのは何も精神的な嫌がらせだけではない。今回はその嫌がらせのいくつかを紹介したいと思う。

弓道の練習を始めるにあたって、まず最初に的を設置する作業がある。射場から位置を確認し、適切に的を設置する作業である。ワシが「もう少し上にしてください」と射場から的場に指示すると、桜井一哉はわざと極端に上にあげる。ワシが「もうわずか下に叩いてください」と指示すると、殴るポーズをして的を上から叩いてわざと極端に下げる。まともに的を設置しようとしないのである。練習に入るため的場の準備が出来るのを、先輩を含め大勢の部員が待っている中であっても、桜井一哉にとっては嫌がらせが優先なのだろう。

弓道の試合形式はいろいろバリエーションがあるのだが、基本はひとり20射を放ち何本当たったかで競う。そして練習において自己最高記録を出すことを「自己新」と呼んでいた。ワシの公式練での自己新は20射19中である。そして、これがいかにも大学生らしいところなのだが、自己新を出すと、練習後に弓道場で先輩たちにあお向けに身体を抑えられ、的中数だけお腹を叩かれる「儀式」を受けなければならない。「おい、おまえ今日はいくつ的中したんだ?」「19中です」「よっしゃ!」と的中数だけ先輩たちに平手でお腹を叩かれるのである。これが痛いのなんのって。しかもその後にマジックでお腹に落書きまでされる。まあ、こんなバカなことが出来るのも大学時代ならではであろう。

夜の練習が終わると、一年生は練習で使った的を張り替え、次の練習に備える仕事が残っている。弓道の的は木枠に和紙を貼ったもので、その和紙の部分を水ノリで張り替えるのである。その日も、練習後いつものように一年生は的の張り替えを行なっていた。しかし、ワシは上記のように自己新を出して、練習後に先輩たちに「儀式」を受けていた。思いっきりお腹を叩かれて落書きされて、一通り「儀式」が終わり、ようやく解放されると、遅れて的の貼り換えに加わった。その時である。桜井一哉がわざとみんなに聞こえるように「独り言」を言った。

「あ~あ、何で俺たちだけで的貼りやらなきゃいけないんだよ!」
「的貼りに遅れてくる奴がいるからなー」

うわ、出たよ。扉が開いた人にはお馴染みであろう。パーソナリティ障害者特有の「独り言を装ってアピール」である。これはワシに対する嫌味であり、周囲へのアピールであり、精神的な嫌がらせの一環である。自己新を出した時の「儀式」は、先輩たちに捕まるのだから拒否できないし、ワシだけでなく、みんなも自分の時は同じように受ける。その日はたまたまワシだっただけのことである。皆それがわかっているから、的貼りに遅れようと普段は誰も咎める奴なんかいない。むしろ、他の人が「儀式」を受けて遅れてきた場合でも「自己新おめでとう!」と言ってあげるものだ。

ところが人格障害者はターゲットを攻撃する材料を常に探している。こんな了解事ですら、ワシが自己新を出したのをきっかけとして、ここぞとばかりに桜井一哉は「大きな声で皆に聞こえるような独り言を装って嫌がらせをする」行動に出たのである。本当にパーソナリティ障害は嫌がらせをすることにかけては天才的な才能を発揮するなと思う。

その時の光景をワシは今でもハッキリと覚えている。桜井一哉のこのような嫌がらせは毎度のことなので、奴の「独り言」には誰一人反応せず、みな黙々と手を止めることなく、まるで何事もなかったかのように、早く終わらせて帰ろうとせっせと的貼りを続けていたのである。あくまでタテマエは桜井一哉の「独り言」だから、ワシも含め誰も反応のしようがない。もちろんワシもコイツの「独り言」は無視である。

このようなアピールを周囲にするということは、他の皆にも同調して欲しかったのだろうが、桜井一哉の独り言に呼応する奴はいなかった。むしろワシと桜井一哉の異常な関係に配慮していてくれていたように思う。なにせ同じ部活で四年間過ごしただけに全員が共通の知人である。当然その中で仲の良い悪いは、まあ少なからずあったにせよ、嫌がらせまでしていたのは桜井一哉ただ一人である。

モラハラ夫と離婚しない妻の気持ちをワシは責められない。モラハラ夫と別れたいが、子供のことや経済的な事を考えるとなかなか踏み切れないのだろうなという気持ちは理解できる。ワシだって、このようなパーソナリティ障害者のターゲットにされながらも、四年間部活を一生懸命やっていたのだから。仲の良い友人もいたし、先輩後輩同期を含め人間関係もあった。なにより弓道に情熱を傾けていた。こんなクズ野郎が理由でそれらを捨てることは選択肢としてあり得なかった。大学に来てパーソナリティ障害のターゲットとなったのは不幸であるが、ワシはそういうのに構っている時間が勿体ないくらい弓道に夢中になっていた。

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