ひらいた扉(004)大学時代の話3
新潟大学の弓道部では、夏に1年生と2年生の合同合宿があり、5つくらいの班に分かれて、みっちり練習する。ワシは班長のひとりとして、班分けの会議に出席していた。その班分けの場で、別の班長がボソッと言った。「桜井とせんちは一緒の班にしちゃマズイよね」。ワシはみんなに謝った「ああ、気を使わせてゴメンね」。ところが話はこれにとどまらず次々と出てきた。「あ、桜井と河合も一緒な班にしちゃダメだよね」「桜井と堀井もマズイ」・・・なんだこりゃ。つまり桜井一哉がすべての元凶ではないか。コイツさえいなければ、このような余計な配慮はしなくて済んだのである。腐ったミカンがひとつあるだけで、そいつを中心に周囲に迷惑と悪影響を及ぼす好例ではないかと思う。
実は大学卒業近くなって、桜井一哉から、それとなしに友人を介し和解「らしきもの」を打診されたことがある。ワシはコイツの嫌がらせに一切反応することなく、普通に学生生活をエンジョイしていた。弓道も一生懸命練習していた。もちろん奴に仕返ししたり一切していない。あくまで無反応を貫いていた。ワシを含む皆が普通に学生生活をおくっている中で、桜井一哉だけが一方的に嫌がらせをしていたけである。そして嫌がらせが効果がないと思ったのだろう、それとなしに和解「らしきもの」を友人を通じて伝えられたのである。
きっかけも不明で理由も不明、一方的に悪意を向けられ、みんなが同じ目標に向かって練習している部活において、一方的に嫌がらせを行ない、場の雰囲気を悪くする態度をとり、挙句の果てに和解したいとか、どれだけ自分勝手なのかと思う。そりゃあワシは何もしていないのだから、奴は自分の気持ち次第で和解することも抵抗ないだろう。しかしワシは今までの奴の嫌がらせや悪意ある周囲への不機嫌アピールをチャラにして、ハイそうですかと受け入れられるわけがない。そんなもの無視である。
パーソナリティ障害者にとって無視されるのが最も耐えられない。理由なくターゲットを定め一方的に悪意を向ける。ワシは無視。弓道場における練習中でさえ嫌がらせをする。ワシは無視。そして一方的に和解らしきものを伝えてくる。ワシは無視。その間、ワシは何もしていないし、一切反応を見せていない。桜井一哉がひとりで騒いで、ひとりで暴れて、ひとりで和解らしきものを探り、ひとりでタコ踊りをしていたのである。小中学生のイジメじゃあるまいし、まさか大学生にもなってこんな幼稚な奴がいるとは思わなかった。
奴が大学卒業後に何をしているか知らないし、興味もない。パーソナリティ障害は人格に由来し治療は困難である。人格は変わらない。こんな奴でも今は結婚して子供がいるのかもしれないが、コイツの異常性に気付いていないなら奴の家族もバカだなと思うだけである。
パーソナリティ障害者に狙われて、悪口を吹聴され、嫌がらせを受ける。こちらが反応しないと、おそらく自分のしていることに何らかの自己嫌悪「的」なものを感じるはずである。自分がどれだけ嫌がらせをしようと、どれだけ悪口を吹聴しようと、相手は何らダメージを受けずに生活を謳歌し人生を進めている。むしろ一生懸命に不機嫌アピールと嫌がらせをする自分が取り残されたような気持ちになる。そうすると今度は「過去を水に流す器の大きい俺」をアピールして擁護するような発言をしだす。しかし「水に流すべき過去」はパーソナリティ障害者側が作ったものである。喧嘩両成敗というが、この場合はパーソナリティ障害者が一方的な加害者である。被害者が水に流すというのならわかるが、一方的な加害者側が「喧嘩両成敗だからお互い水に流そう」というのは筋が違うだろう。
ここからは一般論でワシの想像である。おそらく和解を拒絶すると、パーソナリティ障害者はまた怒り出す。せっかく自分から和解を申し出ているのに、相手はそれを拒否した!ウキーッ! 周囲の取り巻き連中もパーソナリティ障害者に同情するだろう。「せっかく仲直りしようと言ってるのに、あの人が拒絶してる」と被害者がさらに悪者になる。被害者側からしてみれば、さんざ嫌がらせをされていて「ハイそうですか」と受け入れられるはずがない。しかし嫌がらせはしていない、悪口は言ってないと人格障害者は周囲に嘘をついているので、周囲からは「パーソナリティ障害者さんは何もしてないのに、せっかく仲直りしようとしているのに、あの人が拒絶してるのよ」と、ますます被害者が悪者になる。結局周囲の人たちは、「あの人たちの仲が悪いのは被害者さんに原因がある」と思ってしまう。