ひらいた扉(005)大学時代の話4
先日、友人の石川君からLINEでメッセージが来た。「桜井がおまえのブログを見たようだ。すべて事実だと認めていたよ。その上で削除してくれないかと言ってる。判断するのはおまえだけど、俺からもお願いしたい」。なぜ直接ではなく共通の友人経由で連絡してきたのかというと、連絡先も知らない程度の関係だからである。新潟大学弓道部時代、桜井一哉が一方的に嫌がらせをしていたに過ぎず、ワシはずっと無視していた。ただ、たまたまパーソナリティ障害の例として最適なネタだと思ってブログに新潟大学当時の桜井一哉の事を書いた。それを奴は読んだらしい。そして、すぐに自分の事だと気付いたのだろう。ワシは間に入った友人を煩わせるのが申し訳ないので、直接連絡よこすよう、メアドを伝えてもらった。すると速攻で奴からメールが届いた。まさか奴も二十数年の時を経て亡霊のように過去の自分が現れるとは驚いに違いない。件名が空欄だったので、よほど動揺し焦っている様子が伺えた。
【桜井一哉からのメール】
『元気ですか。アドレスを教えてもらい、メールしました。連絡の機会をくれたことを感謝します。先日、偶然あるブログを見ました。内容から多分書いたのは君だろうと思いました。私が君や周りの人たちにとても嫌な思いをさせたことが書いてありま
私には家族がいます。お世話になっている人たちもいます。
ワシは、これを、非常に冷めた気持ちで読んだ。文章が長い割に内容がなく、自分が悪かった、申し訳なかったの繰り返し。お願いします、お願いしますと。しかも人生でどうとか、ずっと忘れませんとか、大袈裟な言葉が並ぶ。まるでモラハラDV夫が、出て行った妻に復縁を迫って、自分が悪かった、もうしません、もう一生しませんと大袈裟に謝っているようにしか思えないのだが。ご存知の通り、モラハラDV夫の上辺だけの謝罪にほだされて許すと、また同じことを繰り返す。人格障害者の謝罪に心揺らせてはいけない。毅然とした態度で拒絶すべきである。
それにしても桜井一哉は情けねえ奴だな。さんざ嫌がらせをしておきながら、今度は嫌がらせしていたことを公表しないでくれと懇願してくるとは呆れたものだ。結局相手の事はどうでもよくて、いかに自分の保身を図るかしか考えていないのがよくわかる。仮に奴の家族や関係者に影響があるとしたら、それはワシがブログに書いたからではなく、嫌がらせを何年にも渡ってやってきた自分が原因であろう。もし本当に反省の念があるならば、削除してくれなどと隠蔽工作せず、原罪として一生背負っていけよと思う。しかも自分でケツを拭かないで友人を間に挟んで頼むとはとことん見下げた男である。こんな父親、こんな夫を持った桜井一哉の家族に同情してしまう。奴の家族なんかどうでもいいけど。
ワシは、削除には応じられない、許すわけがないだろ、友人まで巻き込むな、二度と連絡してくるなと返事をしておいた。本人も認めている通りこれらは全て本当の事である。せっかく何年も一生懸命に嫌がらせをしていたのだから、せめてパーソナリティ障害の例として世の中に貢献しろと言いたい。むしろ、このブログがきっかけとなり、桜井一哉の異常性が周知され、奴の家族や、奴がお世話になったといういう人たちに影響があればよいなと思っている。
それにしても、当時の名簿を見ると桜井一哉は昭和48年7月3日生まれとある。もうすぐ50歳になろうかという中年男にこんなことを書かせるワシにも自己嫌悪を感じる。いや、自己嫌悪を感じた時点でワシはまだ甘いのかもしれない。ワシの友人は「パーソナリティ障害者に一切の同情心はない」とハッキリ言っている。ワシは、そこまでの境地にまだ達していないということだろう。それもまた自己嫌悪。どちらに転んでも自己嫌悪。一体どうしたら良かったのだろう。