ひらいた扉(006)大学時代の話 5
これまでの大学時代の話に登場する桜井一哉は様々な点で非常に興味深い例である。何より本人が嫌がらせを「全て事実」だと認めている点に注目してもらいたい。もちろん自分に関する記述を削除してもらいたがために、ここは正直に認めた方が得策だろうという下心があっての事だろうが、いずれにしてもパーソナリティ障害が自分のしていた嫌がらせを認めた、これは特殊なケースであろう。奴らはやっているのである。パーソナリティ障害の特徴として絶対に自分の非を認めないというのがある。どんなに明らかな証拠、証言があっても、嘘をついて、けして自分の非を認める事が出来ない。今後もそのような例を多く紹介していくつもりであるが、こと桜井一哉に関しては本人が嫌がらせをしていた事を認めている、これが非常に興味深い。
前述のように、桜井一哉はワシがしゃべる度に舌打ちをしていた。はっきり言って何の実害もない、ただ相手に嫌な思いをさせるだけの他愛ない嫌がらせである。不愉快ではあるが大して影響もないので、わざわざ指摘する程の事でもない。もちろん、このような嫌がらせも、しつこく繰り返されるため知らぬ間に心の中に堆積していくものであるが、その時々の単体では小さい、されている本人しか気付かない程度の些細なものである。他にも、よくよく考えると、あれも嫌がらせだったのかなと思い当たる事もあるので、もしかしたら、ワシ自身ですら気付いていない嫌がらせが他にまだあったかもしれない。
共通の友人である石川君は、桜井一哉がそのような細かい攻撃までしていた事に驚いたと言う。当時は全く気付いていなかったと。パーソナリティ障害の被害が他の人に理解されない理由のひとつがこれである。石川君の場合は、ワシが嘘をつくはずがないという信頼関係があり、むしろ「あの時の桜井一哉ならありうる」と信じてくれたが、これもまた珍しいケースである。
普通は嫌がらせなど、まさかするとは思わない。人は基本的に性善説を信じたがるもので、まさかそんなことしないだろうと思うだろう。むしろ、そんなことするはずないじゃないかと、まるでこちらの被害妄想であるかのように責められる。実際に、ずっと一緒にいた石川君が知らなかったと聞いてワシは非常に驚いた。桜井一哉の嫌がらせにみんな気付いているものとばかり思っていた。かくもパーソナリティ障害の嫌がらせは、周囲の人は意外や気付いていないものなのだ。
ワシの大学時代の話は、パーソナリティ障害が嫌がらせをしていた事を認めたこと、友人が「あいつならありうる」と信じてくれたこと、この二点において非常にレアなケースである。しかし通常は、パーソナリティ障害に嫌がらせを指摘しても「そんなことしてない」と嘘をつき、周囲の人は「そんなことするはずないじゃないか」「被害妄想なんじゃないか」と信じてもらえない。奴らはやっているのである。しかし、説明すればするほど、まるでこちらが悪いようにとられてしまう。これがパーソナリティ障害の二次被害である。こうなると、対処法としてはパーソナリティ障害から離れる事はもちろんのこと、関係する人間関係すべてを切るくらいの覚悟が必要かもしれない。